処暑(8月下旬、暑さの峠をこえ涼風が吹いて虫の声が聞こえ始める頃)と言うが、とんでもない。連日の体温超え、熱風で体が溶けかかっている。今年も煮出した麦茶と晩の発泡酒、エアコンの代わりに扇風機、日陰のゴロゴロでやっとこさ8月を卒業できる。でも来年こそエアコンの導入を真剣に考えないとヤバイかもな。9月も危険な40℃が囁かれる中、クールなCM映像が一息つかせてくれるんだよな。そうでガスねぇ…。


菩提寺の施餓鬼、毎年8月22・23日に営まれる地元の一大行事。昔は関東一円からバスや電車で行列をなして参詣人が押し寄せサーカスに見せ物小屋、農具や日用雑貨の販売、多くの飲食屋台などが境内を埋めたものだった。抱っこちゃんやフラフープ、かんしゃく玉鉄砲に当て袋…欲しかったな〜。ガーガー・バリバリ、人頼みの田んぼにエンジン音が響いた。今年も界隈トップで稲刈り、眺めていただけの総領も肩の荷が降りたってもんだ。そんな折、好物アイス「サクレ」の差し入れもあり夏バテ回復。DHA・EPAなど鯖パワーにすがり、来週は新チップソー(草刈刃)のデビュー戦だ。ま、ほどほどで…。


ご先祖を迎え供養するお盆。「十三代総領も、何とかやってるようだ」と先代から及第点を貰えただろうか?時代が移っても八月の風景は生きている。圧倒的な軍備力の米英に戦争を仕掛けた日本陸海軍の無謀、負け戦承知の太平洋戦争で350万もの兵士民間人の命が奪われたことを知った。町内の慰霊碑には出兵戦死・空襲死した430の名前が刻まれている。そして自分の記憶の八月は「会津」だ。その奥座敷でサッカー仲間との暑気払い中、TVで「日航機交信途絶」(後にジャンボ機墜落520名死亡・4名生存)を知った。あれから40年、同年に授かった第三子が今、立派なパパとなっている。健康と平和に合掌!


涼しい沖縄、酷暑の北海道。そんな逆転陽気の中、むさ苦しい四人が大宮に集った。懐かしさと麦酒の勢いで11時からファミレスでおだを上げる始末。話題は共通趣味の無線、現役時代のアレコレと近況…がんの手術経験者二名、転落しドクターヘリ搬送者一名など平坦でなかった過去が明かされた。話は尽きない。今度は赤提灯に腰を移してじじいトーク全開だ。ネオンが「南銀」に灯り始める18時半、55年ぶりの高校同窓会もやっとお開きに。しかし雨が欲しいね。次回は熱燗だね。