サワデー・カップ。五十肩、老眼、年明けからインプラントの埋め込みが待っている中、そう野心が湧いてくるものではない。従って今回は、手抜きのホームページと相成る。しかし自分史の一編をとどめるため、現地にてネット環境が確保されている間だけ、本サイトを作成・アップすることとした。2007年はタイ国ノーンカーイという田舎町からのんきに始まります。コップン・カップ。

29日が取れなかった。結局、上司や同僚に迷惑をかける結果となった。予定を一日早め年末28日、日航717便でバンコクを目指す。その後、国内線で1時間弱のタイ東北部のウドンターニ空港へ。そこからミニバスで1時間余で目的地のノーンカーイに着く。ホテルに辿り着いたのは21時(日本時間23時)。成田から12時間、疲れた。

で何でノーンカーイなの・・・って聞かれると照れる。当初チェンラーイからラオス国境と考えた。しかし飛行機が一杯で予約が入らない。そこで膝を打ったのが、某歩き方という本で「定年後住みたい街7位」と詠われたここノーンカーイに落ち着いた。所在は上図のとおり。メナム(メコン川)を挟み対岸はラオス。首都ビエンチャンまでも僅かである。

29日。朝飯前の散歩に出かけた。ホテルの玄関を出ると、あれま鼓笛パレードに遭遇。その意味は不明だが、この日は何かのお祭りだったようである。ホテル「パンタウィー」の玄関と、大盛りの朝食を開陳する。

で、ホテルの部屋を変えてもらった。実はネットの事前予約で一泊1500B(バーツ=3.3円)と珍しく張り込んだ。温水シャワー、TV、パソコン、冷蔵庫、DVDプレーヤーとリッチな気分の部屋だが、イマイチ一階で暗い。ってんで今度は、最高の部屋を貰った。4階の屋上部屋だった。他人を気にせず無論、広い屋上テラスも独り占めでき眺めもグー。早速、ビールを空けるのである。しかしヒデエ、中年オヤジである。写真はマコトをウツスらしい・・・。

30日。自炊で朝飯のご飯を用意して、ホテルの朝食に持参する。やはり食べ慣れたコメ、これが原動力となる。上の写真は朝食後に街をうろつき撮ったもの。この国でも大きな木には神様が宿るのだろうか、御神木とパチリ一枚収める。

今度は市場で足を止める。食料品を中心に、端っこには下着や洋服まで並べてあった。メコンの魚だろうか立派に肥えた魚体。日常食である鶏以外にも、いろいろな肉が常温で販売されている。お婆ちゃんと店番といった具合の子供の姿を収めさせてもらった。

地元の人は簡単な手続きで対岸のラオスに渡れる。ラオスは音で3秒の距離。大きなトラックがブーブーとエンジン音を響かせる。車やバイクが頻繁に行き交う。自転車は走っていなかった。携帯電話の基地局も高いアンテナを誇っている。政権は違うだろうが、タイと変わらぬ日常風景が見て取れる。

ここまで来たなら、とビザを申請してビエンチャンまで踏み入れることも考えていたが、対岸風景を眺めているうちに、特段の想いは失せた。今次、旅行の目的である「メナムの川風に吹かれる」が叶った瞬間、多くの人々、運に支えられていることを実感した。改めて合掌したい。

むくれる。高いこのホテルを予約した唯一の理由は、NHKテレビが観られる、という触れ込みだったからである。しかしどうだ、英語、ドイツ語、フランス語、韓国語、ベトナム語の放送は映し出されるが、肝心のNHK国際放送は姿形もない。確認すれば「映りませんね」とにべもない返答。海外の旅行先で観る「紅白歌合戦」は事の他、格別だなのであるが、がっかり。

嫁にもそこを突かれ、甚だ不機嫌に陥る。この際、気分転換と五十肩を癒しにマッサージに独り出かけた。宿泊するこのホテルにも、街中にも観光客目当てのそうした店は多い。しかし、地元で堅く商う店がいいのだ。御眼鏡に適ったマッサージ店に入り、タイマッサージ2時間コースを依頼。取り仕切り役の女将の視線の中、小生と年齢違わぬ体格のいい女性が施すのだ。最後に、その五十肩部分をキツークかつ入念にグリグリしてくれた。代金270B。あれま、肩が軽く軽快に回せるようになった。嬉しさでチップ30B。

ホテルに帰る前、遅い晩飯を摂る。昨日の店でビール2本、米麺と野菜と海老のしょうゆ味の炒め物尾+ご飯。1時間プレミアムリーグサッカーを観ながら、のんびりと箸をすすめた。165B。

31日、大晦日。かれこれ15年前まで我が家の年末行事といえば、大掃除に正月の飾りつけが定番だった。それがいつしか姿を消した。家を空けることが多くなったからだ。年末の一年を振り返る特番、正月の芸ノー人お笑い番組も胸焼けがする。さりとて今更、小難しい討論番組もシラけるのである。非日常を求める欲求が強くなった。

さて、上の写真三枚は貸し自転車を踏ん張ってワット・ケ−クなるお寺を愛でた図。実はお寺よりも道中の光景が印象的だった。残念だったのは、男集15人余を集めて村の寄合場で行われていた闘鶏である。すでにお寺見物の後には終わっていのだ。昼休みの娯楽であったようだ。

ノーンカーイ最終日、大晦日は地元で大きな信仰を集める人々で賑わうお寺、ポー・チャイに参った。内装は物語を描いたものらしく、また煌びやかな装飾が施されていた。ここらで夜の話に転じよう。やはりスケベおやじと見えるのだろうか。独りで歩いていると、怪しげな誘いもある。バイクを改造した乗合トラック運転手から、指でそれを示す格好を見せ付けられた。正直、嫌いではないが、危ないことは遠慮する。上の写真右、ラオス友好橋である。自転車を漕いで独りフフー喘ぎ、撮りに行ったのだ。

下の写真は昨日自分が、そして今夜は嫁がかかったマッサージ店。安心は掲げられた免許証、そしてその街に溶け込んでいるかが目安。さて晩飯である。途中の道路際の露店には名物の鶏半身の炭火焼き。美味いらしいがイマイチ買う衝動がおきない。これで三晩目となるレストランでご覧のメニューである。食事中にニュースだ。バンコク市内で同時爆発があったとテレビで報じていた。

フセイン処刑はまた多くの火種を残した。石油利権の下心を隠し、国連決議をも無視して、イラクに夫婦喧嘩の仲裁に入った米ブッシュ政権。かえって喧嘩を大きくし、その口実である破壊兵器すら探し出せず、多くの犠牲と破壊を繰り返しやり逃げの構えである。小泉政権を選挙で支えた有権者はこれらをどう総括するのだろうか・・・。

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